写生帖 梓川上流

寫生 梓川上流
寫生 梓川上流



1大正三年十一月七日 長野縣東筑摩島々附近
大正三年十一月七日 長野縣東筑摩島々附近



2十一月七日 島々
十一月七日 島々



3十一月七日寫 島々
十一月七日寫 島々



4十一月七日 寫
十一月七日 寫



5十一月八日朝 稲核
十一月八日朝 稲核



6大白川 十一月八日寫 
大白川 十一月八日寫



7十一月八日 寫
十一月八日 寫



8十一月八日 寫
十一月八日 寫



9十一月八日 寫
十一月八日 寫



10十一月八日 寫
十一月八日 寫



11十一月八日 寫
十一月八日 寫


大正三年十一月六日・・

この写生帖の最終ページに書かれていたメモです。塩原・日光の写生旅行が同年の十月三十日までなので、一週間後にまた写生旅行に出掛けたことになります。

大正三年十一月六日 夜行十一時飯田町駅
発 松本ヨリ嶌々辺迄馬車「稲こき(稲核)」一泊 
翌白骨温泉宿附近の寫生 八日九日
滞在 十日諏訪ホテル一泊 翌 鶴鳴館
にて酒宴 十二日朝東京着
同行四名
荒木十畝先生
太田秋民氏
関啓畝氏



飯田町駅とあるのは、現在の飯田橋駅のできる前で、ここから夜行列車に乗って松本へ向かったようです。
松本から島々までは馬車という記述がありますが、松本電鉄島々駅の開業は大正11年になってからでした。
稲核(いねこき)は昭和44年に稲核ダムができているので、水没してしまった風景なのかもしれません。

大正3年当時はこのような道をたどっていったのではと想像します。こちらのHPにめぐりあって感慨深いです。→道路レポート 国道158号 旧道

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