大正二年の写生帖から抜粋
この写生帖の前半は大正2年6月の東京の堀切菖蒲園での写生で、後半は8月諏訪に帰っての写生となっています。
堀切菖蒲園は「戦前まで、堀切には武蔵園・吉野園・観花園・小高園・堀切園などの菖蒲園があった。」そうで、確かに掘切むさし園と書いてあります。
とちのきという地名は難しく「芋ノ木」と勘違い、よく見ると「くさかんむり」に「子」なのでした。おそらく諏訪周辺の地名だと調べていくと富士見町に「とちのき」という地名がありました。そして、昔は芓木(とちのき)新田村というのがあったということで、詳しく地図を見ると「小手沢」の地名も発見。
鳳来村は山梨県白州町・・現在は合併して北杜(ほくと)市になっています。
矢ヶ崎は茅野市にあるようで、日付から奥蓼科の明治温泉に行く途中に描いたと思われます。
参考させていただきました
★鬼場城