丸山永畝年譜

年譜
1886(明治19) 6月2日 丸山忠次郎(本名)長野県上諏訪に父(常蔵)母(もと)の次男として生まれる。
1906(明治39)
20歳 
画業を志し上京 荒木寛畝に入門。画塾「読画会」(どくがかい)の会員となる。寛畝の死後は会長となった兄弟子の荒木十畝らと写生旅行を度々行う。水禽・花鳥・風景画を得意とする。
日本美術協会展など展覧会に出品し、入選。
1912(大正元)
26歳
明治の後期から大正初めにかけて各地へ写生旅行に出掛ける。
梓川上流(焼岳)    島々・木曽福島   
諏訪  伊那・模写縮図
御岳昇仙峡   
1913(大正2)
27歳
堀切・諏訪
1914(大正3)
28歳
日光・塩原、信州方面へ写生旅行。
梓川上流   梓川上流・富士見
塩原   塩原(2)     日光
1915(大正4)
29歳
京都周辺     京都・奈良周辺
奈良・信州     信州・高遠     
1917(大正6)
31歳
多摩川上流(l)     多摩川上流(2)
1918(大正7)
32歳
十畝門下の荒井菜畝=本名・幸(コウ)と結婚、本郷弓町に住む。
日光・湯元     伊豆半島
1919(大正8)
33歳
1920(大正9)
34歳
写生帖・花     
1923(大正12)
37歳
関東大震災のため豊島区駒込へ転居。六義園、上野公園、動物園などで頻繁に写生を行う。
大正十二〜十五年
1929(昭和4)
43歳
昭和3年〜4年
1930(昭和5)
44歳
昭和5年〜6年
1931(昭和6)
45歳
第12回帝国美術院展 初入選 「水禽」
1932(昭和7)
46歳
昭和7年
1933(昭和8)
47歳
昭和8年 奥利根 信州 伊香保・五日市
1934(昭和9)
48歳
十畝らとともに目黒雅叙園の格天井画制作に参加。この頃以降は官展に出品することはなくなる。
昭和9年の写生帖
1935(昭和10)
49歳
昭和10年
汽車の中から
1936(昭和11)
50歳
昭和11年 鳥(1)  (2)
式根島(昭和11年)
昭和11年 井の頭公園
昭和11年の写生帖より
1937(昭和12)
51歳
十畝、池上秀畝らと講談社の絵本に挿し絵を描く。
諏訪    蓼科高原
1939(昭和14)
53歳
昭和14年の写生帖より
1941(昭和16)
55歳
昭和16年豊島園・六義園
1942 (昭和17)
56歳
鳥澤・四方津   群馬・下仁田
妙義山  妙義山(2)
勝沼   勝沼・波久礼
長瀞   富士山麓
1943 (昭和18)
57歳
磐梯・猪苗代
1944 (昭和19)
58歳
8月、戦争のため長野県上諏訪に疎開、写生を続ける。先輩の十畝、秀畝が死去し画壇からさらに遠のく。
世田谷・六義園   六義園
渋の湯 
諏訪 昭和19年(1) (2)  (3)  (4)  (5) (6)
1945 (昭和20)
59歳
諏訪 昭和20年(1) (2) (3) (4) (5)
1946 (昭和21)
60歳
諏訪(1) (2)
丸山永畝先生の思い出
1947(昭和22)
61歳
霧ヶ峰  諏訪 昭和22年
1948 (昭和23)
62歳
2月、後援会として「永畝会」が発足。定期的な頒布会を開くこととなる。
8月、東筑摩郡山形村下竹田に移り、アトリエを「自運軒画房」と命名する。
松本・薄川  松本 松本・島内 
大町・木崎湖 有明・波田 神城・松本
姨捨・松本 美ヶ原 善光寺・他  
諏訪から山形村へ 山形村(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19) (20) (21) (22) (23) (24) (25) (26) (27) 828) (29) (30) (31) (32)
1950 (昭和25)
64歳
東京に戻り、狛江に住む。毎日近所に写生に出かけ、風景、人物など膨大な数の写生帖を残す。
昭和25年の手帳より
 東京・世田谷 
12月(世田谷)
1951(昭和26)
65歳
(1)1月(狛江) (2)2月(多摩川・砧)
(3)2月(諏訪・永畝会) (4)3月(久地・西生田)
(5)3月(狛江・神代) (6)4月(狛江・多摩川) 
(7)4月( 稲田・登戸) (8)4月(狛江・花)
(9)4月 (狛江) (10)4月(狛江・砧・多摩川)
(11)4月(神代・宿河原 ) (12)4月(成城・狛江)
(13)5月(成城・多摩川) (14)5月(狛江・花)
(15)7・8月(花) (16)9・10月(花・狛江)
(17)10月(多摩川・神代) (18)10月(多摩川)
(19)10月(狛江・砧) (20)10月(狛江・祖師谷)
(21)10月(狛江) (22)10・11月(狛江)
(23)11月(狛江) (24)11月(狛江・登戸)
(25)11月( 砧・祖師谷) (26)11月(砧・二子玉川)
(27)11月(多摩川・稲田堤) (28)11月(砧・狛江)
(29)11月(生田) (30)12月(成城・狛江)
(31)12月(狛江・神代)
1952(昭和27)
66歳
(32)1〜3月(砧・諏訪) (33)3月(狛江)
(34)3月(狛江) (35)3月(狛江)
(36)3月(狛江・砧) (37)4月(狛江)
(38)4月(和泉多摩川・成城) (39)4月(砧・多摩川)
(40)4月(多摩川) (41)4月(多摩川・花)
(42)4月(花・神代) (43)5月(多摩川)
(44)5月(多摩川・花) (45)5月(多摩川)
(46)5月(多摩川原・布田) (47)5月(多摩川原)
(48)5月(多摩川原) (49)5月(花・狛江)
(50)6月(多摩川・花) (51)6月(花・狛江)
(52)7月(花) (53)9・10月(多摩川・砧)
(54)10月(砧・生田) (55)10月(祖師谷・神代)
(56)10月(柿生) (57)10月(東林間・相模原)
(58)10月(狛江) (59)10月(砧・祖師谷)
(60)10月(狛江・砧) (61)10月(狛江・農家)
(62)10月(成城・神代) (63)10~11月(砧・大蔵)
(64)11月(神代・狛江) (65)11月(狛江・成城)
(66)11月(神代・三鷹) (67)11月(登戸・座間)
(68)12月 (登戸・町田)
1953(昭和28)
67歳
(69)1月 (諏訪・中央線) (70)1月 (狛江・多摩川)
(71)1月 (鶴川) (72)1〜3月 (町田・厚木)
(73)3月 (狛江) (74)3月 (狛江・成城)
(75)3月 (狛江・神代) (76)3〜4月 (狛江・砧)
(77)4月(砧・多摩川) (78)4月 (多摩川・登戸)
(79)4〜6月 (多摩川畔) (80)7〜10月 (喜多見・狛江)
(81)10〜12月 (狛江)
人物
1954 (昭和29)
68歳
(82)1〜2月 (砧・新宿) (83)2〜4月
(84)4〜5月 (85)6〜7月
(86)8〜11月 (87)11〜12月晩秋 
(88)12月 (生田・柿生)
1955 (昭和30)
69歳
(89)1〜3月(諏訪・江の島) (90)4月(多摩川・砧)
(91)5〜7月(花・多摩川) (92)8〜9月
(93)秋色 (94)9月(多摩川)
(95)10月(狛江・目白) (96)10月(多摩川・狛江)
(97)11月(多摩川) (98)11月(狛江)
(99)12月(狛江・砧)
1956 (昭和31)
70歳
画業50年の記念頒布会を行う。
江の島  春の花
1956 (昭和32)
71歳
多摩川  初夏 夏の花 初秋
秋の花 高ボッチ 秋趣
1957 (昭和33)
72歳
早春 五月 バラ 多摩川畔   
十月 十一月
1958 (昭和34)
73歳
早春 四月 春の花 ばら 六月  初夏 
七月 盛夏 初秋
1959 (昭和35)
74歳
成城・狛江・鶴川  夏の花   夏の庭  
朝顔(1) 朝顔(2)  秋の庭 
1961 (昭和36)
75歳
冬の諏訪・狛江  春の庭 ばら 初夏
朝顔(1) 朝顔(2) 朝顔(3) 朝顔(4) 
朝顔(5) 朝顔(6)
1962 (昭和37) 5月10日 75歳で死去。(数え76歳)
絶筆

* * * * * * * * * * 1986 (昭和61)
妻・菜畝90歳で死去。
2006(平成18)
10月28日〜11月26日
東京都世田谷区立郷土資料館にて特別展
『野の画人 丸山永畝の写生帖』が開催される。
同年10月28日〜11月5日 東京都狛江市泉の森会館にて
『永畝の描いた狛江・そして今』展が開催される。
2007(平成19)
10月15日〜23日
狛江市泉の森会館にて『丸山永畝の写生道』展が開催される。
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写生帖
永畝は写生帖約300冊、約2万点の写生画を残しており、世田谷区立郷土資料館に所蔵されています。 写生帖は和紙を綴じた手作りで大きさも表紙もさまざまです。明治45年頃から昭和36年まで、約50年間の記録です。戦時中に焼失したものも含めると相当な数だと思われます。
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丸山永畝・菜畝 昭和37年正月

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この時描いた色紙「松」が絶筆となった

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